2026/01/04

読書記録

「次」をどう生きるか―『生殖記』を読んで、自分の現在地を考えた―

朝井リョウさんの本を初めて読みました。
正直に言うと、途中でタイトルの意味が腑に落ちた瞬間があり、その時は少しゾワッとしました。

「なるほど、そういう切り口で人間を描くのか」と。
驚きと同時に、「あ、これ自分の感覚とつながってるな」と思ったのを覚えています。

今回読んだ『生殖記』は、
人と人との関わり、気持ちの揺れ、視線のズレ、
そういった言葉にしづらい部分を、かなり鋭く切り取っている作品でした。


生殖器が語り手、という違和感の正体

この作品は、生殖器が第三者の視点として、主人公の行動や気持ち、人間関係を代弁していきます。
最初は正直、「なんだこれ?」と思いました。

でも読み進めるうちに、
これはただの奇抜さではなく、

  • 本能と理性を行ったり来たりする人間
  • 自分でもよく分からない感情
  • 無意識に選んでしまう行動

そういった人間のリアルを、あえて“距離のある視点”から描くための仕掛けなのだと感じました。

感情にどっぷり浸かるのではなく、
一歩引いたところから自分を見る。
その構造自体が、この物語のテーマなのかもしれません。


主人公の「次」と、自分の「次」

読んでいて一番考えさせられたのが、
**主人公が求め続ける「次」**です。

主人公は、ストイックに次を求め続けます。
でもそれは、必ずしも意味や成長を伴う「次」ではありません。

どちらかというと、

  • 人生をとりあえず消化するための次
  • 今をやり過ごすための次

そんな印象を受けました。

一方で、自分はどうだろうかと考えました。

自分は「次」を、

  • 成長につなげたい
  • 意義を見出したい
  • できれば成果も感じたい

そう思いながら生きています。

同じ「次」でも、
向いている方向が違う
ここに、主人公との決定的な違いがあると感じました。


気まずさは、みんな感じている

この作品を読んで救われた感覚もあります。

人間関係の中で生まれる、
あの独特の「気まずさ」。

  • 会話が一瞬止まった時
  • 相手の反応が読めない時
  • 空気だけが先に進んでいく時

作中では、そうした感覚がとても丁寧に描写されています。

読んでいて、「あ、自分のこの感覚は変じゃなかったんだ」と思えました。
気まずさは特別なものではなく、誰の中にもあるものなのだと。


「多様性を認める」は、優しさだけじゃない

印象に残ったのが、多様性に関する描写です。

多様性を認める、という言葉は一見とても優しく聞こえます。
でもこの作品では、それが距離を取るための言葉として使われる場面もあります。

「それぞれ違うよね」
「そういう考えもあるよね」

それは理解でもあり、
同時に深入りしないための線引きでもある。

この視点は、新しい学びでした。


有意義って、必ずしも成長や成果じゃなくていい

この本を通して、
「有意義とは何か?」という問いがずっと頭に残りました。

自分はこれまで、

  • 成長しているか
  • 成果が出ているか
  • 前進しているか

そういう基準で、有意義かどうかを測りがちでした。

でも作品を読み終えて、
必ずしもそこに縛られなくていいと思えるようになりました。

意味がなくてもいい。
成長していなくてもいい。
成果が見えなくてもいい。

それでも、目の前のことに少しでも楽しんで向き合えているなら、
それはそれで十分なのかもしれません。


ゴールのない問いを抱えたまま、生きるということ

この物語は、答えをくれません。
ずっと問いを投げ続ける構造になっています。

だからこそ、読み終わった後もモヤモヤが残ります。
でもそれは欠点ではなく、
人間関係や人生そのものにゴールがないからなのだと思いました。

ならば、
ゴールのない問いに振り回され続けるよりも、

  • 自分の好きなことをする
  • 自分が納得できる時間を過ごす
  • 今日をちゃんと生きる

そちらにエネルギーを使った方がいい。

そんなメッセージを、
この作品から受け取った気がしています。


おわりに

『生殖記』は、
答えを与えてくれる本ではありません。

でも、

  • 自分がどこに立っているのか
  • これからどう生きたいのか
  • 「次」をどう選びたいのか

それを考えるきっかけをくれる一冊でした。

今の自分は、
「次」を自分で見つけていきたいと思っています。
そこに意義を感じながら、成長も楽しみながら。

朝井リョウさんの他の作品も、これから読んでいこうと思います。

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